2005年10月9日

近藤純夫さんのイザベラ・バードとハワイ物語

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは近藤純夫さんです。
近藤純夫さん

 19世紀に、その一生をかけて、世界各地を巡り、優れた旅行記を残した女性がいます。その名は「イザベラ・バード」。彼女はハワイにも滞在し、素晴らしい紀行文を出版しています。今回のザ・フリントストーンは、エッセイスト、翻訳家の「近藤純夫」さんをお迎えし、「近藤」さんが翻訳したイザベラ・バードの本を題材に、女性の旅行作家が果たした偉業をひも解きます。

イザベラ・バードってどういう人?

●近藤さんは最近では、ケイビングのスペシャリストと言うより、ハワイのスペシャリストと言ったほうが近いかもしれませんね。

「そうですね。でも、今日はちょっと洞窟のお話がありまして、教科書にも載っていたような古くて日本一長い洞窟が交代しそうなんですよ」

●えっ!?

「つい最近、新聞でも発表されたんですけど、河内というところで大きな洞窟が見つかりまして、それがどうやら日本一になりそうなんですよ。僕のクラブのクラブ員が見つけた洞窟なんです」

●どんどんのめり込んでいったハワイから、国内の洞窟に興味が戻ってきているんですね(笑)。

「そうですね(笑)。そういうのを聞くとワクワクしますよね。やっぱり、根っからの穴好きですからね(笑)」

●(笑)。今後しばらくは日本の洞窟のほうを・・・。

「いえいえ。ちょっとしたらまた、ハワイのほうへ行かなくちゃならないんです」

●ちょっと前にこの番組でも紹介しているんですが、近藤さんが翻訳された新刊『イザベラ・バードのハワイ紀行』が発売になりました。この「イザベラ・バード」さんという方について教えていただけますか?

「バードが生きていた時代っていうのは、19世紀なんですけど、ちょうどイギリスが大きな国になって、世界中に勢力を振るう頃なんですね。で、下の階級の人達は毎日働くだけだったんですが、一部の特権階級は結構、外国に行って物事を見ようっていう流行みたいなものがあったんです。加えて彼女は身体が弱くて、当時は南国療法っていうのがありまして、暖かいところへ行くと治る病気って思われていたものがあるんです」

●いいなぁー。私もそういう病気にかかりたいなぁ(笑)。

「かかりたいですよね(笑)。で、彼女だけじゃなくて、多くの著名人、『宝島』のスティーヴンソンだとか、たくさん行っているんですけど、彼女もその1人としてあちこちに行っていたんですね。どうもいまいち『あそこもパッとしない、ここもパッとしない』って言っていたところでハワイと出会って、それですっかりハマってしまったんですね」

●もともと探検家だったわけではないんですね。

「そういうわけではないんです。ごく普通のいち夫人だったんですね」

●単純に病気を治すための旅をしていく中で、着いたのがハワイだったんですね。

「そうです。ただ、ひとつだけ背景がありまして、彼女はまだ若い頃に家族とアメリカに旅行をしているんですね。で、このときの旅行記をちょっと書いてみようと言われまして、書いたらそこそこ評判が良かったんですよ。で、また旅行を始めて、ニュージーランドからサンフランシスコへ行く途中にハワイに寄ったんですけど、その時は何も考えてはいなかったんですが、『また書いてみようかな』ってなるような大きなキッカケをハワイで与えてもらったんですね。その後は、世界的にも有名な旅行作家に変身します。日本にも何度も来ています」

●日本についても本を書かれているそうですね。

「3年間続けて(日本に)来ていましたからね」

●そもそも近藤さんがこの本に出会ったキッカケって何だったんですか?

「出会ったのは全然他愛もなくて、ある日、ホノルルから日本に帰るっていう待ち合わせの時間の時に、ちょっと本屋に寄ったら棚にたくさん掛けてあったんです」

●ホノルル空港のあそこですか?

「はい。あの狭い書店にね。それで、『今月の新刊かなぁ』くらいに思っていたら、そうじゃなかったんですね。130年間ずっと出ていた本だったんですね。それが、ペーパーバックスになって置いてあって、でも分厚いし、どうかなぁって思ったんだけど、僕、自然とか文化とかを調べて読むのが好きなので、『あ、この手の本としては面白そうだな』と思ったのがひとつと、『なぜ、そんなに長く本を出し続けられるんだろう』って普通思うじゃないですか。しかも、棚の一番目立つところに置くような本じゃないでしょう?」

●ですよね。しかも空港の本屋さんに置いてあったんですもんね。

「そうです。専門書が並んでいるところにちょこっと入っているならまだ分かるんですけど、ペーパーバックスって新書ですから、たくさん読んでもらうためにある本ですよね。それが目立つところに置いてあるっていうのも『これはやっぱり、読まなきゃいけないかな』と、中身も分からず買いました」

●実際に読まれてみていかがでしたか?

「読んでビックリですよ。というのは、一番大きな理由は僕とほとんど同じような道筋を歩いているんですよ。僕は火山とか溶岩とか洞窟が大好きですから、ハワイに出会ったのもそれがキッカケなんですけど、彼女自身もものすごく興味を持っているんですね。髪がチリチリ焼けてきたりとか、顔がすすで真っ黒になっても無理矢理熱い溶岩を見ているわけですよ。『すごいなぁ』って思いながらも、『羨ましいなぁ』という気持ちもあって、複雑な気持ちに酔うんですけど(笑)、すごく表現がビビットでしょう。だから、なんか横で見ているような気になっちゃうんですよ。で、段々目が放せなくなって、気が付いたら500ページ以上ある本を一気に読んでしまったということなんです」

ハラハラドキドキする紀行文!?

イザベラ・バードのハワイ紀行

●本のタイトルにも『ハワイ紀行』とありますけど、イザベラ・バードさんの原文ではハワイではなく、サンドイッチ諸島という言い方をしていますよね。

「名前を付けたのはキャプテン・クックという、さらに100年前にハワイに足を踏み入れた探検家なんですけど、当時の探検家にはみんなパトロンがいたんですよ。そのパトロンがサンドイッチ伯爵という方で、サンドイッチを作った人なんですね。その彼に敬意を表して付けたんですね。もっと厳密に言うとちょっとトリビアなんですけど、最初にクックがサンドイッチ諸島という名前を付けたのは、カウアイ島とオアフ島とニイハウ島と横についている小さな島だけなんです。それをサンドイッチ諸島といいます。なぜならば、他の島が見えなかったから」

●見えなかった?

「うん。で、彼は島に上陸もしているし、タヒチとかあちこちを廻っているのでポリネシアの言葉は少し分かったんですね。でも、他の島の情報までは手に入らなかった」

●じゃあ、厳密に言うとサンドイッチ諸島というところには、ビッグアイランドなんかは入っていないわけですね?

「そうなんですけど、その報告が届く前、当時はイギリス本国に報告が届くのに、他の国を通ったりして委託するわけですよ。すると1年くらいかかったりするんですね。彼はその10ヶ月後にサンドイッチ諸島に戻ってくるんですけど、今度はマウイ島側のアラスカから下りてくるので、『あ、マウイ島がある』、当時の名前は違うんですけど、『ハワイ島がある』という感じで島を見つけて、結局、彼が最終的にサンドイッチ諸島の名前を付けたときには全部の島が入っているんですが、最初の伝令には入っていないんですね」

●面白い。それがサンドイッチ諸島。今ではみんなでハワイと呼んでいるんですね。

「そうですね。これはハワイ王朝が出来て、実はイザベラ・バードが行った時にはすでに6代目の王様だったので、サンドイッチ諸島はもうハワイ王国に戻っていたんですけど、あえてその名前を付けたんですね。で、彼女もこの本の中では『サンドイッチ諸島』という名前はちょっと使ってますけど、ほとんど『ハワイ』と書いています。厳密には『ハワイ』とは言わなくて、『ハヴァイイ』というんですけどね」

●イザベラさんがこの本を書いたときに行った時代というのが、1873年ですよね。

「そうですね」

●以前、ハワイのお話を近藤さんからうかがったときに、今なおハワイは少しづつ位置的に動いていて、多分、私が最後にハワイに訪れた時のホノルル空港の位置と、今日の時点の位置とではちょっと違っているだろうっていう話をうかがったんですが・・・。

「結構違うと思います」

●となると、1873年頃のハワイの地球儀でいう位置って結構変わっているんじゃないですか?

「大まかですけど、大体、1年で10センチ近く移動するんです。今も移動しています。ということは、100年経ったら10メートル移動しているんですよ。家1軒分くらい移動しているんです」

●その時点で、私達がイメージするハワイと、景色などが違ってきますよね?

「そうですね。違う数字の考えもあって、実はクックが最初に来たのは1778年なんですね。で、1779年に殺されちゃうんですけど、そこからほぼ100年後の1873年にイザベラ・バードがハワイへ来たでしょ。そこからまた100年後の1973年に僕、初めてハワイに行ったんですよ。偶然100年、100年の間隔で、個人的ですけど、感慨深いんですね」

●そして、そんな近藤さんがイザベラ・バードの本を翻訳しているんですね。130年前っていうとピンと来ない部分が多々あって、ある種、この方アウトドア好きですよね?

「そうですね。探検に近いような感じですね」

●探検家の域に達しているんですね。

「そうですね。実際に何度も死にかけてますからね」

●病弱なのにも関わらずそういう所に行くと、すごく活き活きしてしまうという根っからの探検家魂を持った方なんですね。

「そうですね。当時、移動は車もバスも汽車もないですから、全部馬なんですね。で、彼女にとって良かったのが、彼女は牧師の家に生まれて男の子のように育てられたんですよ。で、どこに行くにもお父さんと一緒に馬に乗って移動していたんですよね。馬に乗るのに慣れていたんですね。だから、割と遠くに行けたんですね。自分の足では高い山にも登れなかったかもしれないけど、馬の力を借りていたので登れたんですね。ただ、それでもひとつネックがあった。それは、当時女性は馬にまたがってはいけないという大きな約束事があったんです」

●イギリスの映画とかを見ていても、ドレスを着て横乗りにヒョイっと上品な乗り方をしていますもんね。

「またがるっていうのはものすごく品のないことだったんですね。ところが、ハワイに来て目を皿のようにしたのが、女性がみんな馬にまたがっているんですね。フワッとしたズボンのようなスカートのようなものを履いているんですけど、とにかくそれを見てビックリするわけです。彼女はアメリカ人の女性と一緒にハワイ島へ行くんですが、彼女も頑として聞かないんですね。『そんなことは出来ない』と」

●「はしたないわ!」みたいな。

「『はしたないし、もうそれ以下!』って感じで。彼女(イザベラ)もそう思っていたんだけど、好奇心に勝てなかったんですね。『ちょっとやってみようかな』って(笑)。そうしたら、乗りやすさに天と地ほどの差があって、その時に彼女はピクッと思ったんですね。『これで私はどこでも行ける』って。人が行けないところへ行ける。少なくとも女性が行ったことのないところへ行けるって確信しちゃうんですね。それが、乗り慣れてもいないまたがる方式に対して、彼女は先走っちゃってますから、『あそこも行ってみよう』『ここも行ってみよう』ということになるわけです。それがその後の試練の始まりになるわけですね。もう本当にインディー・ジョーンズの世界ですよ。『どんどん水が来る、彼女はそこから出られない。さぁ、どうしよう』とか、『火が迫ってきて向こうからも煙が来る、さぁ焼かれてしまうぞ。どうしよう』ってことをあちこちでやっているわけですよ。読んでいるうちに『これ、最初は紀行文だったよな』と(笑)、本を間違ったかなと思うくらいにハラハラドキドキさせられますね」

●彼女は病気がちで病気の療養のために、色々な自然豊かなところを訪れる方と認識して本を読んでいくと、とんでもない方向に導かれてしまいますよね(笑)。

「(笑)。昔の本って書き方に書式があって、最初に謝辞があってみなさんにお礼を書くとか、今よりももっと細々としたつまらないことをたくさん書くわけですよ。この本はそれを省略していないので、全部それを訳してあるんですね。最初に3ページ読んで『あぁー』とか思っちゃうと、すごく勿体ない。10ページ以上読んで、ハワイに到着したところから読めば、いきなりドキドキの世界になりますから、是非!」

●最初はそういうのを踏まえたうえで読みながら、中に入っていくとどんどん・・・。

「離れられなくなりますね」

イザベラ・バードと学ぶハワイの歴史

近藤純夫さん

●イザベラ・バードさんは女性として最初の世界的探検家になるんですか?

「探検家というとちょっと言い過ぎなので、一応、旅行家ですね。単独の」

●彼女は当時としてはかなりワイルドでエキサイティングなことを、どんどん前向きにやっていらっしゃる方ですよね。そこで、当時のハワイの復習をしたいと思うんですけど、どういう感じだったのかを教えていただけますか?

「バードさんが行ったのは1870年代だから、日本では明治時代になってちょっとの頃ですよね。この頃っていうのは、ハワイはカメハメハという王朝ができて、第6代の王様になっていた時代なんです。ところが王様ってみんな短命で、初代は長生きしたんですけど、みんな5年とか10年とかで、王様になって2ケタやった人ってほとんどいないくらいに短命なんですね。だから、ハワイという王国が激しく変わっていた時代なんですね。その終盤にさしかかっている時代だったんです。で、そこにはイギリスとかアメリカとかフランスとか大国がいっぱい来て、虎視眈々とその島を乗っ取ろうと狙っているわけですよね。一方で王様も段々と西洋化してきますから、色々な知識もつきますし、外遊もしていますから、今、ハワイがどういう立場にあるかっていうことを考えているときなんですね。
 そういう時代にイザベラ・バードもイギリス人としてやってくるわけですけど、最初は物見遊山なんですが、彼女は自然を見ているだけではなくて、政治とか宗教とか経済も見ているんですね。当時、クックが来てから100年ですよね。つまり、僕たちがイザベラ・バードのことを話すのと同じくらいの期間でクックの時代を見ることが出来るんですけど、その後100年でなんと人口が10分の1以下になっているんです。なぜかというと、白人の病気をいっぱいもらって、抵抗力がないから死んでいってしまうんですね。そのほかに当時は、らい病(今のハンセン氏病)がものすごく流行っていたんです。で、施設が出来たばかりのモロカイ島にみんなどんどん送られてくるわけです。ハワイ人という民族はなくなってしまうのかって、王国としてもそうだし、バードもすごく心配するわけですね。もうひとつ心配していたのが、彼女は敬虔なクリスチャンなんですけど、いっぱい宣教者が入ってきてハワイの文化を否定していた時代なんですね。フラダンスを踊っちゃいけない。だからフラダンスの話は出てこないんですよ。踊ると捕まるんです。彼女が行った都市でもフラダンスを踊ったということで3人が処罰されています。そういう時代だったんです。ハワイ語も喋っちゃいけない。でも、田舎へ行けば喋るんですけど、そういうことが出来ない。彼女はそういう緊張感をすごく感じ取っていたんですね。でも一方で、ちょっと田舎へ行くとまだ大昔と同じ暮らしをしているんですね。だから、布地1枚をただ引っ掛けているだけの女性、男性はふんどし1丁というようなところで、川で魚を捕って生で食べちゃうとか、そういう生活をしていたんです。彼女はそういうところへ入っていったりするわけですよね。
 だから、歴史的な人間の文化に関わる部分では、今の時代とはものすごく違うので、『あー、そういう時代だったのかぁ』って聞いても思いますよね。でも、その他のこと、火山の噴火とか海がどうだった、川がどうだった、花がどうだったというのは今とほとんど同じ。だから、この本に書かれている世界は今も経験できます。追体験できる。だから、そのギャップを楽しんでもらいたいんですよ。同じものを自分も見てる。でも人は違ったんだ。体制も違ったんだ。世界も全然違っていたんだ。人のほうがよっぽど移ろいやすいんだなっていうのをすごく感じさせますよね」

●人間がここまで科学技術や色々なものでもって自然を痛めつけてきて、人間がなんとかしなくちゃいけないっていう横柄なところに来ている中で、自然は変わっていないっていうのって、自然ってすごいなって感じですよね。

「すごいですよ。単純にそう思いますよね。厳密にいうと、この前お話をさせていただいたときに、『ハワイアン・ガーデン』という植物の本の話をして、今ある花の種類の9割が外国のものでハワイのものはほんの少ししかないという話をしましたよね。でも、それは種類の話で、面積でいえば、まだまだハワイの固有の植物も頑張っていますから、そんなに楽観は出来ないけども状況はまだ頑張っているんですね。だから、今の人達はまだ見られる。それは非常に貴重だと思いますよね」

●130年前と同じものが見られるわけなんですね。

「そうです。しかも、7割くらいの自然がそれほど手が付けられていないんですよ。完全に手付かずではないけども、それほど手がつけられていない。つまり、ほとんどのところでもって当時の光景を見ることが出来る。それは結構、貴重ですよね」

まずはハワイへ行って接しよう!

●近藤さんは『イザベラ・バードのハワイ紀行』を翻訳されて、前回、お呼びしたときなどはハワイのスペシャリストというくらい(笑)、ハワイには通い詰められて、色々な視点からハワイの自然とか洞窟とか火山を見てらっしゃいましたけど、このイザベラさんのお話を読んで実際に翻訳されたあと、ハワイに行った時に見え方や感じ方が変わったところってありますか?

「今まで『自分と自然』とか、『自分とハワイという土地』という感じだったんですけど、その中にイザベラ・バードの目も僕の心の中に入ってきて、『あ、彼女はこうやって見ていたんだな』っていうのはチラチラっと思うようになりましたね。ただ、偶然にも同じようなところを歩いているわけです。僕があの本を読んで最初に驚いたのが、『歩いているところがほとんど同じじゃないか』ということなんです。そのくらい驚いたので、『彼女の行ったここに行ってみよう』っていうのはないんですね。それより無数に多く歩いているわけではないんですよ。つまり、ほとんど興味の視線が同じだったというのがあって、そういう意味で新しい発見っていうよりも、むしろ、それを深いところで知っている仲間を見つけたっていう感じですね。ちょっと僭越なんですけど、大先輩をそういうふうに感じることがありますね」

●この本をまだ読んでいらっしゃらない方に、読んでどういうことを感じて欲しいですか?

「先ほど言いましたように、この本自体はインディー・ジョーンズのようにワクワクハラハラドキドキして読んでいただけると思うんです。つまり、エンターテイメントとしても面白いと思う。だけど、あえてちょっと小うるさいような言い方をすると、自然も人もやっぱり弱い。だから、志をちゃんと持って接しないとすぐになくなってしまうんだっていうことを知ってほしいなってすごく思いますね。彼女も必死で色々なことを働き掛けてやっていくんですけど、やっぱり、彼女1人の力で出来ることは限られていますよね。でも、多く集まればインパクトありますから、彼女も帰ってから弟とか親戚を通して、または王立協会があって彼女は後にロイヤル・アカデミーの会員になるんですけど、そういう組織を通してハワイに色々な働きかけをして、それが結果的に今も色々な形で残っているんですね。だから、1人の力よりはみんなの力っていうのを知っていただけたらいいなと思います。そのためには、ワイキキって車で5分から10分で自然へ行けますから、まずは接すること」

●そうですね。自分がその中に身を置いてみないと分かりませんからね。

「ええ。本当にすぐ、自然の中へどこでも行けますから、勿体ないですから、まずは体験してみるといいですよね」

●近藤さんはこのあとはハワイに戻られるんですか?(笑)

「『戻る』というよりは『出掛ける』かな(笑)」

●最近はハワイに戻るというふうに感じてしまいますが(笑)、今度も洞窟ですか?

「いえいえ、今までとは違って文化の領域をやっていまして、今、王朝の初期の文化を少し調べているんですね。で、クックの時代からカメハメハ王朝の時代までのことを博物館などを廻ったりして調べています」

●さらに、ハワイのスペシャリストになっていくんですね?

「そうですね。あと、僕の仕事ではないんですけど、国の国立公園の調査のお手伝いをしていまして、その調査も兼ねて行きます」

●それから、先ほどの国内の洞窟もですよね?

「これはまず、僕も新聞で読んだので、まず仲間にどういう進行状態なのかを聞こうと思います」

●必ず行かれると思いますので・・・。

「行きたいですね」

●行かれたら、どうだったかを私達にも教えて下さいね。

「分かりました」

●今日はどうもありがとうございました。

■このほかの近藤純夫さんのインタビューもご覧ください。

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■ケイビングのスペシャリスト、エッセイスト、翻訳家の
「近藤純夫」さん情報

「近藤純夫」さんが翻訳を手掛けた本イザベラ・バードのハワイ紀行
平凡社/定価2,940円
 最近ではすっかりハワイのスペシャリストとして活躍されている「近藤純夫」さんが翻訳された新刊。19世紀の女性旅行家「イザベラ・バード」さんが火山や激流に挑んだ驚くべき冒険の数々や先住民との交流、原生自然の貴重な記録など、その描写力、表現力で130年前のハワイ王国にタイムスリップさせてくれる本。
 

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. TRADE WINDS / JANET KAY

M2. BOOK OF DREAMS / SUZANNE VEGA

M3. ADVENTURES IN PARADISE / ACE OF BASE

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

M4. WILD WOMEN DO / NATALIE COLE

M5. LONG AGO AND FAR AWAY / JAMES TAYLOR

M6. NOW AND FOREVER / KEALI'I REICHEL

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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