2009年1月18日

放送大学・教授の本多俊和さんにきく「イヌイットの生活・文化の変遷」

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンは本多俊和さんのインタビューです。
本多俊和さん

 文化人類学がご専門の、放送大学・教授、本多俊和(ほんだ・しゅんわ)さんをゲストに、グリーンランドやカナダに暮らすイヌイットの文化や、生活スタイルの変遷などうかがいます。

外見は変わっても心は変わらないイヌイットの人たち

●はじめまして、よろしくお願いします。本多先生は文化人類学、中でも極北の民族の調査・研究がご専門ということなんですけど、そもそも大学院生のときにカナダのトロント大学に留学なさって、そこでイヌイットの人たちと接して、すごくカルチャー・ショックを受けたそうですね。

「修士課程を卒業して、博士課程に入ったところで、留学することになったんですね。で、イヌイットと出会ったのは、トロントではなく、トロント大学に行ったときに、ちょうど北極へ行く調査隊の欠員が出て、『お前行かないか?』って言われたので行って、そこでカルチャー・ショックを受けたんですね」

●これは1970年代くらいのことですか?

「そうです。1970年代の前半です」

●どんなカルチャー・ショックを受けられたんですか?

「例えば、時間・時刻を全然気にしないんですよ。僕が『明日10時ごろに来ますから』って言って、相手が『はい』と返事をしたので、次の日に行ったら2日待たされたって事がありました(笑)。2時間じゃなくて2日ですよ!(笑) それから、全体通して考え方が全然違っていました。ですから、何にしても最初は違和感がありましたね。ですけど、それに慣れてくると、どっちもどっちっていう感じでした。やっぱり、より良いとかより悪いじゃなくて、それぞれの生活環境や社会に応じて、イヌイットの生活の仕方もあれば、日本での生活の仕方もある。日本にイヌイットの生活を持ち込んではダメですよね」

●当時のイヌイットの生活ぶりを振り返っていただいて、当時はスノーモービルとかは使っていたんですか?

「入ってきていました。1960年代から少しずつ入ってきたんですけど、みなさん、イヌイットとかエスキモーという言葉を聞くと、犬ぞり、毛皮服、雪の家、っていうイメージがあるかと思います」

●アザラシ猟とかね!

「ええ。アザラシ猟は続いています。で、犬ぞりは北グリーンランドでは健在ですけど、グリーンランドの南半分、アラスカ、カナダではレクリエーション、あるいは観光客用のサービス、接待のために使われていますね。ですから、犬を飼っていても、下手すると2〜3ヶ月つなぎっぱなしで、犬が全然動かないんですよ。本格的な猟をするとき、北グリーンランドを除けば、スノーモービルですよ」

●それは、1970年代からそうだったんですか?

「1970年代はそうでしたね」

●私たちが考えていた以上に、その頃から西洋の文明が入っていたんですね。

「入っています。あまり歴史をさかのぼりませんが、1950年代にはソ連とアメリカの冷戦時代がありました。そのとき極北地帯はちょうど緩衝地帯でした。そうすると、この人たちを大急ぎ、国民にして、カナダ人、アメリカ人にしなければなりませんでした。そうすると、集住といって、1ヵ所に集めて生活させる。しかし、1ヵ所に雪の家、イグルーを10棟も建てられないので、結局、プレハブの家を建てて住まわせたんですね」

●本多先生が初めて行かれたときは、イグルーではなくプレハブに住んでいたんですか?

「はい。プレハブの家に住んでいて、スノーモービルに乗っていて、毛皮服ではなくダウンジャケットを着ていました。ジャケットっていっても、我々が着ているようなペラペラの物ではなく、丈夫で暖かいものです。僕が行ったときは夏だったんですけど、革ジャン、ジーパン、リーボックという姿に非常に驚きました(笑)」

●そっちのほうがカルチャー・ショックな感じもしますね(笑)。

「でも、心はやっぱりイヌイットですね。ですから、ジーパンを穿いても、アメリカ人、カナダ人、ヨーロッパ人になったわけではないんですよ。ですから、外側は変わっていても、心は残っているということを私たちは理解しないといけない。で、私たちは『文化がなくなる』ってよく言うでしょ。でも、なくなるんじゃなくて変わるんですよ。例えば、私たちが江戸時代に戻って生活できるかっていったら、できないんですよ。ですから、僕らの文化も変わっているけど、僕たちの文化が変わることは進歩と考える。彼らの文化が変わるときは、死ぬ、滅びるというふうに捉えているんですよ。言っておきますけど、イヌイットは滅びていません!」

イヌイットの人たちの世界観は円形

●本多先生は文化人類学、中でも極北の民族の調査・研究がご専門ということで、イヌイット、北の民達のお話をうかがっているんですが、むこうには自然観という言葉自体ないのかなとも思ったんですが、実際はどうなんですか?

本多俊和さん

「よく勉強していらっしゃいますね」

●都会にいる人達がキャンプなどに行くと「自然ってすごいねー」って言いますけど、イメージとして、自然の中にずっといる人達っていうのは、「別に普通じゃない?」って言うじゃないですか。そう考えると、イヌイットの人たちにとって、自然観とか自然って、改めて考えたり、言ったりすることもないのかなぁと思ったんですけど、本多先生から見てどうですか?

「まず、彼らには自然っていう言葉がなかったんですよ。日本語にも元々なかったんですよね。自然(じねん)とか天然はあったとしても、自然(しぜん)という言葉は明治時代に入ってから、つまり、ヨーロッパやアメリカから入ってくるNATURAL(ナチュラル)とか、NATURE(ネイチャー)という言葉に対応するものとして自然観ができてきて、彼らは今、いいか悪いか分からないけど、自然という概念ができています。なぜかっていうと、こっちが持ち込んだものに対応しなければならない。例えば、自然環境を守るということをカナダ、アメリカ、デンマーク(グリーンランドはデンマーク領)の国家の中で環境保全、環境保護をしようとなると、彼らの中にも自然という概念を作らなければならなかった。でも、もともと彼らにとっては、我々のいう自然は生活そのものでした。僕がそれに馴染むまでは、『これは人間の世界』、『これは自然の世界』っていう考えを捨てるまでには結構時間がかかりました」

●彼らも今では自然っていう言葉や概念を持ってしまっているということは、私の意識の中で「自然は」とか「自然環境は」ってことイコール、自分がその一部ではなくなっているっていう意識がすごくあるんですね。

「その通りです。ですから、彼らの世界観、世の中の見方は丸、水平の円形なんです。そうすると、それぞれ違うものであっても、上下関係はない。しかし、私たちの自然の図式、社会化の教科書などでも三角ピラミッドですよね。で、その上には人間が立っていて、その下に何がいて、何がいて、支えているのは自然。彼らの水平の円形的な世界観の中では、みんな繋がっているんですよ。それを僕が納得したときには、目の鱗が10枚くらい落ちた感じでしたね(笑)。ですから、ピラミッドではなく円形ですよ」

●今でも彼らはそういう意識を持っているんですか?

「私が付き合っているイヌイットの人々には二通りいるんですよ。リーダーたち、これは、外の土俵に乗って相撲を取る人たち。それから、村で集住をしているからもともととは言えないけども、自分たちのもともとの社会がかなり残っているところでは、この円形の世界観が残っています。しかし、基礎的には我々の自然、非自然、人工っていうものがあって、私が体験した世界はいつまであるかっていうと、ある意味では難しいかもしれません。ですから、今、そういう世界観を持っているかというと、多くの人たちは共有しているけど、薄れてきているっていう答えになりますね。彼らは色々な意味で欧米化しているといえるけど、やっぱり日本の欧米化、本場の欧米、イヌイットの欧米化はみんな違っていますよね。ですから、それほど心配する必要はないんじゃないかなって気がします。彼らは変わろうとしています」

グリーンランドの名前の由来は?

●本多先生は去年、2008年にはグリーンランドに調査に行かれたそうですが、グリーンランドのエスキモーとカナダのイヌイットの生活の違いはあるんですか?

本多俊和さん

「生活習慣の中でも少し違いがあるんですけど、それより多分、皆さんが驚かれるのが、北部グリーンランドと南部グリーンランドの違いなんですね。これはすごいです」

●そんなに違いがあるんですか?

「まず、結論から言うと、北は狩猟漁猟の世界。南はヒツジ放牧の世界」

●えっ!? グリーンランドでヒツジ放牧ですか?

「はい。北グリーンランドでは、我々が想像する雪と氷の世界であって、犬以外の家畜動物を飼うことは、ほぼ不可能と考えていいでしょう。しかし、南グリーンランドの場合、グリーンランドっていう言葉はどこから来たんでしょう?」

●そうなんですよ! 私も昔から不思議だったのが、アイスランドはアイスランド(氷の地)って分かるんですよ。でも、グリーンランドってあんなに北にあるのにどうして「グリーン」って名前をつけちゃうわけ?

「日本語で言うと、『緑の地』ですよね」

●だから、「緑の地」が憧れなのかなぁって思ったんですけど・・・。

「そうじゃないんですよ。実はあそこを一番最初に植民地にしたのは、北欧の人たちがアイスランドから東へ進んでグリーンランドに入っていったんだけど、そのときの気候は今よりずっと暖かいんですよ。大体、太もも、場合によっては腰くらいまで草が伸びていたんです。あそこでは西暦1000年から1300年の間に酪農を中心とした植民地を北欧に作ったわけです。これはまだデンマークとか、ノルウェー、スウェーデンがない時代ですね。で、1350年ごろから気候が寒くなっていって、腰まで伸びていた草が伸びなくなって、結局、牛、ヒツジ、ヤギを飼えなくなっていなくなったんですよ。ですけど、その時代にグリーンランドという名前を付けられて、それからずっと続いているんですよ。私が去年行った南グリーンランドは、花畑って言ったら大げさですけど、花が咲いていて、草は太ももくらいまで伸びている。それを刈り込んでヒツジの冬の飼い葉にする。ヒツジは夏どうしているかというと、ツンドラに放し飼い」

●ヒツジさんたちは幸せな環境かもしれませんね!(笑)

「そうですね(笑)。で、ツンドラに生えている草とか苔桃とかを食べたりして、10月ごろとり入れて、夏の間に牧場でとった飼い葉を10月から5月に食べさせて、5月からはまたツンドラに放していくと。『この人たちはイヌイットなの?』って聞かれるんですけど、彼らはイヌイットという意識を持っています。ですから、南のグリーンランドとヌナブートを比較すると、比較するところがないくらい違うんですよ」

●本当ですね! 同じ名前で括れないほど生活習慣も全然違うんですね。

「ということは、我々が言う『自然に』、環境の変化に応じて生活している。これは、強制されたものではなくて、確かに植民地時代に持ち込まれたヒツジではあるけれど、あそこに見事に定着して、それを、今、生活の生業にしているんですよ。もはや、彼らをイヌイットの風上に置けないという暴言を吐いちゃいけないんですね」

温暖化がグリーンランドに与えた影響とは?

●先ほど、グリーンランドがグリーンだったというお話をうかがってビックリしましたが、それくらい私たちの持っているイメージとしてのグリーンランドは、寒くて氷で閉ざされているっていうイメージがあったんですけど、その昔、グリーンランドと名付けられた時代にグリーンだったところが、私たちがそういうイメージを持つくらいに寒いところになり、今また放牧ができるようになったというのは、気候変動の影響なんでしょうか?

「何千年っていう歴史で見ると実は今より温暖なときもあれば、極端に寒い時期があって、さっき言ったようにヒツジが生きていられなかった時期もあったんですよ。彼らはそれに応じて生活を変えているんです。ですから、暖かくなった時代には、イヌイットはグリーンランドの中では北上していった。逆に寒くなると、また南下したんですね。気候変動と戦うのではなく、応じて動いたんです。ただし、誤解してほしくないのは、今の温暖化は歴史の繰り返しっていうのではなくて、二酸化炭素の排出などの温室効果ガスを私たちはたくさん出していて、責任は大いにある。彼らはイヌイットの歴史4000年の間に3〜4回経験しています。しかし、今暖かくなっているのは、北のイヌイットの人たちにとっても、致命的といえるほどのダメージを与えている。なぜかというと、海が凍るのが遅くなって、解氷が早くなって、しかも氷が薄くて狩猟に非常に問題を起こしている。で、狩猟ができないと犬の餌がとれない。犬の餌がとれないと狩猟ができないという悪循環なんですね。ですから、グリーンランドのシオラパルクという最北端の町では深刻な問題になっています。しかし、南のほうは氷床が退いて、今まで開発できなかった鉱物資源ができるようになった。海があまり凍らなくなると海底採取もできるようになりつつあるんですよ。もう少し、ビックリさせる話をしましょう。ヌークというのは西グリーンランドの南から3分の1くらい上がったところの北の町で、水力発電所を開発しようとしている。その水力はどこから来ているかお分かりですね? 融ける氷床です」

●先生は今年もあちこちに調査に行かれるんですか?

「はい。またグリーンランドの冬のヒツジを見てきます」

●その報告は放送大学などで聞けるんですか?

「報告というよりも授業に取り組んでいきます。グリーンランドと気候変動と文化の変化をどう捉えるか盛り込んでいきます」

●またお話を聞かせてください。

「お呼びいただければ、喜んで馳せ参じてきます」

●楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。

AMY'S MONOLOGUE〜エイミーのひと言〜

 この番組を通して何度となく語られてきた“生きものの多様性”。この言葉を人間界におきかえると“文化の多様性”になる。その土地、そこにある自然との共生、環境に順応しながら育まれてきたそれぞれの文化の過去と今を知ることで、私たち人間はもっと互いを理解し合えるのではないか。価値観の違いも含め、互いを認め合う大切さを改めて感じさせられました。
 それにしても文化人類学っておもしろいですね〜。もともと極北の民の文化や伝統に興味のある私にとって本多先生のお話は最高におもしろく、まるで学生に戻った気分でお話に聴き入ってしまいました。でもあまりにも幅広く奥深いので、大学で専攻するにはちょっと大変かも(笑)。とはいえ、本多先生の講義は機会があったらぜひ受けてみたいと思っています。

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放送大学 教授の本多俊和さん情報

著書
 文化人類学、中でも極北の民族の調査研究がご専門の本多先生は「スチュアート・ヘンリ」という名前で本も出版。

野生の誕生
(共著)世界思想社/定価2,415円 

民族幻想論〜あいまいな民族、つくられた人種
解放出版社/定価2,100円 

はばかりながら“トイレと文化”考
文春文庫/定価458円 

『野生の誕生』 『民族幻想論〜あいまいな民族、つくられた人種』 『はばかりながら“トイレと文化”考』

 放送大学スチュアート ヘンリ研究室
 「放送大学」のホームページ内にある本多先生のサイト。
 文化人類学・考古学の調査結果や調査風景などの写真、著作物のリストなども掲載。極北の民の文化や伝統に興味をお持ちの方はぜひご覧ください。

 スチュアート ヘンリ研究室のホームページhttp://campus.u-air.ac.jp/~stew_hon/HTML/index2.html

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. HUMAN / THE KILLERS

M2. I'M STILL STANDING / ELTON JOHN

M3. EVERYBODY'S CHANGING / KEANE

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

M4. LONG LONG JOURNEY / ENYA

M5. GO YOUR OWN WAY / FLEETWOOD MAC

M6. LIFE IN A NORTHERN TOWN / THE DREAM ACADEMY

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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