2010年10月24日

「百年前の山を旅する」
服部文祥さんの登山への探究心と、今の環境への疑問点

 今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、服部文祥さんです。
服部文祥さん

 この番組に何度もご出演いただいている、サバイバル登山家の「服部文祥」さんは先ごろ、東京新聞から「百年前の山を旅する」を出版しました。この本は、服部さんが当時の登山スタイルで山に登り、そのときに感じたことが書かれています。
 そんな服部さんから、どうして当時の登山スタイルで山に登ろうと思ったのか、そして、そのとき見えたものや感じたことなどうかがいます。

 

サバイバル登山は“自分の力で登ること”

●今回のゲストは、サバイバル登山家の服部文祥さんです。よろしくお願いします。

「よろしくお願いします。」

●先日は、とあるイベントでお会いしましたね。お疲れ様でした。

「お疲れ様でした。」

●そのときに、服部さんのお話を聞かせていただいたんですけど、ビックリしたのと同時に、ユニークで面白かったです。そのときに話していたサバイバル登山というのは、どういうものなんですか?

「簡単にいうと、装備と食料をできるだけ持たずに、山を長期間歩くというものですね。自分でイワナを釣って、山菜を取って、焚き火を起こしたりします。テントとかストーブとか持っていかないので、自然にあるものをできるだけ利用して、なおかつ山に長くいたいので、登山道や山小屋をできるだけ使わないといったようなことを繰り返していますね。」

●なぜ、そういうスタイルで山に登ろうと思ったんですか?

「それを簡単にいうのは難しいんですけど、あるとき『自分の力で山に登るというのが登山じゃないのか』と思ったんですね。登山を始めてから長いんですけど、それまで“登山とは何か?”とずっと悩んできました。その中で大きな答えの1つとして“自分の力で登ること”だという結論に至ったんですね。自分の力で、そこにある本来の自然・山を登るというときに、自分以外の要素、例えば登山道や自分では作れない道具などをできるだけ排除していくことで、自分の力で登ることにつながるんじゃないかなと思って、その方法をとっています。」

●私は先日、登山をする機会があったんですけど、そのときに防寒ウェアを着て、ザックを背負って、ストックを使って登ったんですけど、服部さんからしてみれば、それは自分の力で登っていなかったということですか?

「『山に登ることがどういうことなのか』と考えたときに、山の麓から山頂まで歩いてから自分で降りてくることを“一般的な登山”といっていいと思うんですけど、僕は登山家なので、自分の表現の仕方で登山がしたかったんです。それだと、他の人が普通に登っている山を同じように登っても、自分の表現にはならないですよね。その先で“登山とは何か”と考えてきたんですけど、簡単にいえば『人が作った道がなければ登れないのなら、そういう山は登るべきじゃないし、自分の力で登ったことにはならないんじゃないか』と思ったんですね。営業小屋って、ヘリコプターで荷物を上げて、現地でお金を支払って、食料や施設を利用するんですけど、ヘリコプターで上げた食料がなければ、その山に登れないのなら、それは自分の力で登ったことにはならないんじゃないかと思うんですね。
 そういうことをどんどん煮詰めていくと、装備だったり、持っていく食料も僕が作ったものでなければ、僕が加工したものでもないじゃないですか。頭が固いこだわりと言われればそうかもしれないですけど、そういう考えから、僕のスタイルができあがっているんです。普通に登山をする人たちに対して『それは登山じゃない!』というほど頭は固くはないですけどね(笑)」

●(笑)。先ほど山の中に何日も篭ると言っていましたけど、食べ物は現地で調達するんですか?

「おかずは調達しますね。炭水化物を山で調達するのは難しいので、お米と調味料は持っていきますが、おかずとなるものや山菜、イワナやカエルとかヘビとかをできる限り現地で調達したいと思っています。採れなかったら、ご飯に塩をかけて食べるか、何も食べないかという感じですね。」

●それは究極な選択ですね(笑)

「(笑)。それでも最近は持ち込むご飯の量が増えているんですけどね(笑)」

●(笑)。服部さんは、狩猟サバイバルもされているんですよね?

服部文祥さん

「それも、サバイバル登山の1つで、実際に山の動物を捕って、殺して、食べるということをしたんですね。なぜそれをしたかというと、僕が日頃食べている肉に対する疑問があって、その疑問を解決するには、自分で1度大型哺乳類を殺して、自分で裁いて食べてみたいなという思いがあって、狩猟を始めたんです。段々と猟銃で獣を撃てるようになってくると、獣を撃って、その場で裁いて、その肉を食べるということを登山の方法にすることができないかなと思ってきたんですね。要するに、獣を食べながら登山ができないかなと考えるようになって、それを2シーズンぐらい、試しにやってみているという感じですね。
 僕のやっていることって、“焚き火”、“釣り”、“狩猟”、山に泊まることを子供的に表現すると“秘密基地”といった感じなので、子供にさせてみたら誰がやっても面白いと思うことばかりで、子供の頃には誰もが憧れるようなことを、大人ヴァージョンとしてやっているんですよね。僕にとっては面白くないわけがないんですよね(笑)。そういうジャンルですね。」

●男の子が好きそうなものばかりですよね(笑)。

「全部入ってますね(笑)」

 

百年前の登山家は“強い”

●服部さんは先日、「百年前の山を旅する」という本を出されましたが、これはどんな本なんですか?

「これもサバイバル登山の1つなんですけど、現代装備を否定して登山をしようとすると、『今のようなテクノロジーがない人たちはどういう風に登山をしていたんだろう』って、昔の登山者のことをすごく考えるんですよね。何か参考にしようとすると、時間をさかのぼることになるんですね。そういう流れから、昔の登山に興味を持つようになって『実際にテクノロジーを排除して、昔の人たちが登っていたルートを辿ってみたらどうなるのか』と思ったんですね。そして、今でも記録として残っているいくつかの登山ルートを再現してみたのが、今回の登山です。」

●ということは、ルートを再現して、それに加えて、装備や服装も100年前と同じ物にしたんですか?

「はい。食料や装備も、できる限り記述に残っているものを集めて、ルートや経過時間もできる限り昔に合わせて、やってみました。」

●ルートだけではダメだったんですか?

「やってみようと思ったときは、ルートだけを辿ろうと思っていました。ですが、考えを深めていったときに、ヘッドランプとかストーブとかテントとかを持って、同じルートを辿っても、果たして当時の登山者の気持ちが分かるのかという疑問がでてきたんです。彼らが何を感じて、何を思ったのか、どんなことが恐かったのかということを知るには、昔の装備でないと意味がないんじゃないかと思って、できる限りの装備でやってみたんですけど、色々な刺激な体験や感動を得ることができました。簡単にいえば、『山が恐い』んですよね。」

●それは、昔の装備をしていると、そう思うんですか?

「やっぱり、ゴアテックスの雨具がないと、雨だけでも恐いですよね。これは田部重治という方が書いた本の話なんですけど、テントを持たず、地図もなければコンパスもない、時計は持っているみたいですけど、携帯電話なんてもちろんのこと、ラジオも持っていかない。簡単な着替えと米と鍋、マッチぐらいで山に泊まるなんて、今の時代の常識では考えられないですよね。すごい連中だなって思いました。本を読んでいて、なんとなく想像はできていたんですけど、実際に、その装備で現場に行ってみて、山に1晩2晩ぐらい過ごしてみると、昔の人は肝っ玉がすわった人たちだということがよく分かりましたね。」

●なるほど。具体的に、昔の人たちってどういう服で行っていたんですか?

「色々あるんですけど、基本的には股引きに、はんてんのようなものを着て、帯で結んで、足袋は履いている場合と履いてない場合があるんですけど、それに草鞋を付けて、脚絆を付けてという感じです。今でいうと、お祭りのときに着るような感じの服装ですね。」

●結構軽装なんですね。

「でも、彼らにとっては軽装だというイメージはなかったと思うんですね。僕たちは選択肢がありますが、彼らは選択肢はないので、そのときにできる最高の装備を使って、登山をしていたと思います。だから、彼らのやってきたことを実際に体験してみると、すごいと思えるようなことが多いんです。」

●どういう風にすごかったんですか?

「装備を使っていないということもすごいんですけど、当時の記録を追っかけてみて、彼らは“強い”ということを感じました。僕がこういう風に“強い”と簡単に言いますが、実はそうでもないんじゃないかと思ったんですよね。」

●というのは?

「今って、オリンピックとかで、記録ってどんどん伸びていくじゃないですか。クライミングの世界も技術がどんどん向上しているんですね。そこで、昔の人が“強い”と簡単に言ったのは、『この記録は本当なのかな?』ってずっと思っていたことなんですけど、今回、残っていた彼らの記録を追っかけてみて思ったのは、1日に歩く距離が非常に長いんです。歩くスピードも結構速くて、追っかけている我々が大変だなと感じましたね。ウォルター・ウェストンと上条嘉門次(注1)が、穂高岳の壁を始めて登ったときに、上高地から穂高岳の山頂まで、1日で往復しているんですよね。」

●往復ですか!?

「はい。今やっても結構大変な登攀だと思うんですけど、今のように登山道はないので、今彼らが登ったルートを登ろうとすると、岳沢というところまでは登山道を使って登ることができるんですけど、彼らは沢登りで登って、そこから南稜というルートを登って、しかもほとんど同じルートを降りてきていると思うんですね。僕は実際、それを1日でやったんですけど、大変でしたね。僕たちって、ヘッド・ランプがあれば多少暗くなっても大丈夫だと思えるじゃないですか。だけど、彼らはヘッド・ランプがないので、暗くなったら、座って夜を明けるのを待つしかない状況なので、そういう意味では、気持ちも体も強いなと思いましたね。」

(注1)
「ウォルター・ウェストン」とは、イギリスの登山家で、日本アルプスを北アルプスと南アルプスに分け、“日本の近代登山の父”と呼ばれています。そのウェストンを日本アルプスに案内したのが、山の案内人「上条嘉門次」なんです。

 

昔の装備をしても、
昔と今では感じることは全然違う可能性がある

●昔の人の登山の真似をして、色々と感じることがあったということですが、どんなことを感じたんですか?

「先ほども言いましたけど、やっぱり山が“恐い”“大きい”んですよ。そして我々がテクノロジーに頼っていることで、触れることができない山の魅力がたくさんありますね。ご飯を作る・米を炊くということをするにしても、ストーブに火を付けて、炊けるのを待っていればいいという状況と、薪を集めて、焚き火を起こして、ご飯を1から炊くという状況では、同じご飯を食べるということでも、体験として残るものが違いますよね。
 登山においても、登山道を使う・使わないでは、体に残る体験が違うんですよね。それは当たり前といえば当たり前なんですけど、そのことを僕たちは意識をしていない・意識ができない、選択肢がないから意識しようがないんですよね。例えば、田部重治はすごく遠くからアプローチをするんです。僕たちが行こうとしたらタクシーかバス、もしくは自家用車で行ってしまう部分も、歩いてるんですよね。それは、当時その部分は馬車も走っていなかったので、歩くしか手段がなかったんですけど、それをやってみて、体に何か残るものがあるなって感じがしましたね。」

●「百年前の山を旅する」という本の中でも、色々な旅があるんですけど、私にとって印象的だったのが、最後の旅のときに、あえて火を持っていったじゃないですか。それも自分の中で何か残ると思ったから、そうしたんですか?

「最後の旅には、ブラスストーブという、昔から使われている灯油のストーブを持っていって、山に登るという旅だったんですけど、僕にとっては、重くて面倒なことが多い、使いにくい装備なんですね。」

●旧式の装備っていうことなんですね。

「そうですね。旧式なんで、手間が多いんですよ。でも、昔の人にとっては最新式の装備なんですよね。」

●当時は画期的な装備だったんですよね。

「その装備を実際に使ってみることで、昔の人の気持ちが分かるのかというと、僕が感じることと、昔の人が感じたことって、全然違う、もしくは真逆の可能性がありますよね。ただ、よりよい装備を使って、よりよい登山ができているのかという疑問は、僕の中では非常に大きくなりましたね。それは、最初に言った“自分の力で登山をしたい”ということにつながってくるんですけど、他人が開発してくれたいい装備を使うことで、失ってしまっているものが、恐らくあると思うんですね。かといって、昔の装備にしたところで、それが取り戻せるというわけではないんです。では、我々は何をすべきなのかということを考えるのは難しいですよね。」

 

快適な生活って、本当に幸せなのか?

●今の便利で快適な生活をどう思っていますか?

「今の生活って結構いいですよ(笑)」

●快適ですよね(笑)。

「快適で安全だから、すごくいいですよね。ただ、失ってしまっている体験って非常に多いと思いますし、本末転倒みたいな感じになっているところもあると思います。例えば、会社で働いていて、仕事ですごく忙しい人っていますよね? そのおかげで、普通よりたくさんのお金をもらっていますけど、あまりに忙しくて、そのお金を使う暇もないような状況って、どうなのかなっていう感じもしますし、洗濯機や掃除機などで家事全般をこなしたり、食料を自分で捕りにいかないで、スーパーに行けば買えたりできることで、生活に関わってくる色々な手間や時間が浮いて、自分の時間として手に入れられたと思うんですね。

服部文祥さん
 僕にとって、文明というのは、“万人のスポンサー”だと思っているんですね。色々な人が、自分のことを考えて、自分の能力を発揮することができる時代だと思うんですね。だけど、それは文明のおかげで、手間がなくなったことで時間が浮いて、その浮いた時間を僕たちは本当に有効に使えているかというと、すこし疑問が残りるんですよね。その浮いた時間でスナックを食いながらテレビを見ながらゴロゴロしているとしたら『それって何の意味があるんだろう』って思うんです。しかも僕の場合は、会社で合理的に仕事をして、それでお金を稼いで、休みを取って、山に行って、昔の人の生活を追っかけているんですね。それって、現代的に言うと『意味なくね?』っていう感じがしたんですよ。それなら最初からテクノロジーを排除して、生活そのものを追っかけてみた方がいいんじゃないかと思い始めているんですね。これってどうなんでしょうか?」

●逆に、その2つを知っているからこそ、お互いのいいところ・悪いところが分かるんじゃないですか?

「それは間違いなくあると思いますね。」

●私は今、快適な世界にいるので、サバイバルな生活をしたことがないんですね。

「『快適な生活って、本当に幸せなのか』って、あまり検討されていないと思うんですよね。快適で楽で便利で安心というのが、絶対によくて幸せだと植えつけられているんじゃないかと思ったんですね。それも“登山って何か”と考えて、たどり着いた1つの考えなんですね。登山って苦しくて辛いのに、不幸じゃないんですよね。そのときは不幸って考えないで、楽しくて幸せな時間を過ごしているんですよ。そう考えると、快適でのほほんとしている時間が本当に幸せなのか、じゃあ、幸せって何なのかって考えたときに、1つの命がその能力を発揮して生きているということを実感できる瞬間が幸せなんじゃないか、もしくは、そういうことを幸せだと感じるように生命ができていないと、おかしいんじゃないかと思うんですね。そういうことを幸せだと感じるからこそ、生命がこれまでつながってきたと思うんです。
 “楽”と“楽しい”って、日本語では同じ漢字を使いますけど、英語では全然違うじゃないですか。僕はその“楽”と“楽しい”っていうのが、同じ漢字を使うことで同じイメージで捉えられるというのが、間違えているんじゃないかと感じています。」

このほかの服部文祥さんのインタビューもご覧ください。

YUKI'S MONOLOGUE 〜ゆきちゃんのひと言〜

 今回、服部さんのお話を伺って感じた事は、いかに現代の生活がテクノロジーに囲まれているかという事です。
 そんな生活が良いのか悪いのか、今の私にはまだ解らないんですが、服部さんのおっしゃっていた『楽(らく)と楽しいは違う』『登山は苦しくて辛いけど不幸ではない』という言葉の意味を、改めて考えてみたいと思います。

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服部文祥さん情報

本「百年前の山を旅する」

本「百年前の山を旅する
東京新聞/定価1,800円
 昔の人の登山スタイルを、当時の装備や衣服を身につけて再現し、実際に同じルートと同じ時刻にまでこだわって山に登ることで見えてくることは何か。
 服部さんらしい視点と感覚に満ちあふれている本です。奥多摩や奥秩父、北アルプス・奥穂高などの山旅の話も掲載されています。
 

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オープニング・テーマ曲
「JAVA DAWN / SHAKATAK」

M1.  AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH / MICHAEL McDONALD

M2.  HUNGLY HEART / BRUCE SPRINGSTEEN

M3.  EYE OF THE TIGER / SURVIVOR

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「UNDERSTANDING TO THE MAN / KOHARA」

M4.  YOU'RE BEAUTIFUL / JAMES BLUNT

M5.  ALL BY MYSELF / ERIC CARMEN

M6.  I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FOR / U2

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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